本当の愛は、優しさだけではない

傷つけないための配慮が、愛とは正反対になることがある

優しさも、慈悲も、愛です。



ただ、本当の愛は、
必ずしも優しさのようなものではありません。



時には、厳しさが愛のときもあります。





相手に敬意を持って配慮することは、
とても大切で、素晴らしいことです。



ところが最近、

相手を傷つけないように必要以上に先回りして配慮するというより、
はれ物に触るような感じで接する人が増えたなと感じます。



たとえば、子育てや、社会での人間関係において。





でもそれは、

一見いいように見えて、実は相手に必要な経験をさせていない、
邪魔をしているということです。



そして、

自分を表現していないということでもあり、
愛とは正反対の行動です。



むしろ、

相手のためというより、
自分がいい思いをしたい、自分が悪者になりたくないという、

自分可愛さゆえのエゴの行動でさえあります。





これは、誰かを責めたい話ではありません。



私自身も、そうでした。



傷つけたくない、嫌われたくないという気持ちから
自然に出てくることでもあります。



大切なのは、それに気づくことだと思います。

その人に、そのとき必要な愛を見極める

養護教諭時代は、

生徒一人ひとり、その時々で、どういう愛が適切なのかをきちんと見極めて、
必要に応じて厳しくしてきました。



それによって、嫌われたこともあったと思います
(もちろん、それは嫌ですし、傷つきます)。



でも、それでその生徒が必要な体験をして、学び、成長してくれたら、
これ以上の喜びはありません。



ただそれは、
養護教諭としての仕事の責任があったから、できていたことでした。





一方、プライベートでは、本音は全然言えませんでした。



自分が傷つきたくないために、家族や友人などから嫌われないように、
何をされても言いたいことを我慢して、波風を立てないように頑張っていました。





それから時は流れ、
セラピストとしての在り方について考えるときのことです。



自分で満たそうとせず、自分では動かずに、
人から与えてもらって楽をしている人。



何でも欲しがり、いつまでも満たされない、与えてもらう前提の人。



そういう人に、優しくして満たしてやることは、
私はどうしても良いとは思えませんでした。





その疑問を解消するため慈悲について勉強していたとき、
『慈悲』という本に、

仏教的には、
慈悲が却って良くない人がいる、それはそういう人たちだ、

というようなことが書いてあった記憶があります。



それでようやく、私は間違っていなかったと思えました。

本当の愛が、伝わるとは限らない

ただ、
本当の愛を伝えたからといって、

必ずしも相手に伝わるわけではありません。



特に、
先ほどのような、自分では動かず人から与えてもらう前提の人たちは、

逆に、
自分たちが欲しいものを与えてもらえないと、怒りをぶつけてきます。





だから、
自分を守るために、自分を愛するために、適度な距離を保つことも大切です。





優しくするか厳しくするかではなく、
その人にとって、そのとき必要な愛は何かを見極めること。



また、自分の本当の想いを無視しないこと。



それが、本当の愛だと思います。

セッション詳細

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です